おたくはどちら

つれづれ

遍く沼と三点リダ


One can never go back, that one should not ever try to go back – that the essence of life is going forward. Life is really a One Way Street.


* * * *


 空調の駆動音と、ペン先がこすれる音。試験前だろうか?随分と熱心だ。図書館のカーペットを靴の下に感じながら、書架の隙間をするりと通り抜ける。NDC区分法、133番の棚。近代哲学。厚ぼったいハードカバーで構成されたストライプ柄が、上から下まで意地を張り合うように詰められている。
 人文学を専攻していた身としては、幾度となく対面した文字通りの壁。もうあの意地悪教授の試験はないのに、未だここに来てしまうのはなぜだろう。
 彼女が問うているからか。わたしが問うているからか。


「生きるとはなんだろう」。


 古代ギリシャソフィスト達に始まり、19世紀ヨーロッパの哲学者から現代日本の中高生に至るまで。知恵を身に付けた人類は、生の意味を問い続けてきた。答えは無数にあり、それでいて存在しない問い。考えることこそが価値であり、考えることは無意味な問い。
 大学で学んだニーチェさんもハイデガーさんもわたしが納得する答えは示してくれなかったので、子供の頃から好きな作家の言葉を貰うことにした。とりあえず生きて、前に進む。それがわたしの回答だ。すでにケリをつけている。
 だけど。形を変えて、問いはまた現れる。


「殺すとはなんだろう」。


 わたしは殺人者だ。
 私欲、憎悪、怨恨、劣等感。あるいは正義で、あるいは狂気。ありとあらゆる動機をもとに斬殺撲殺絞殺刺殺毒殺扼殺轢殺爆殺溺殺射殺焼殺、ありとあらゆる手段を使って完全犯罪を試みる。
 同時にそれを打ち砕く頭脳明晰な探偵であり、右に左に振り回される助手であり、財を狙われる富豪であり、巻き込まれる大女優であり、お茶目で真摯な警部補であり。小説家というものは、さまざまな職業にならなくてはいけない。そして今は、

「いらっしゃいませー」

 陳列棚と格闘するコンビニ店員だ。


* * * *


「休憩入ります」
「はーいお疲れ。机の上のお菓子自由に食べていいから」
「了解でーす」

 店長に一声かけてから、休憩室のパイプ椅子に腰かける。
 大学1年の頃から今に至るまで、同じコンビニで働き続けている。店長がよくペンを置き忘れる場所も、バイト君が置いていって半年が経つコートも、このコンビニの隅から隅までを把握している。何といっても助かるのは家から近いことだ。チョコ菓子と共に飲み物が置いてあったので適当に見繕って蓋を開ける。

「ふー」

 500mlのミルクティーの甘ったるさが喉を潤す。主張の激しいロゴの裏、原材料表示を目で追ってみる。紅茶よりも乳成分と砂糖の方が多く入っているらしい。それはもうティーミルクではないだろうか?
 大多数の人間は、そんな名前の正しさなど気にしない。ミルクティーを謳う容器に、ミルクティーと感じられる飲料が入っていれば文句はない。わたしもミルクティーティーミルクかなんてことはどうでもよくて、名前ではなく味を楽しんでいるのだからそれでいい。


 とあるミステリ新人賞に受かった新進気鋭の小説家。その懐事情は、残念ながら春には程遠い。ほどほどに売れた処女作の印税や元研究室のレポート監修でコンビニバイトをせずとも生計は建てられているが、それでもお金はあるに越したことはない。
 もっとも、この仕事は楽しんでいる。部屋でひきこもるよりも身体を動かす方が精神衛生を保てるし、入れ代わり立ち代わり、様々な人がやってくる。


 こちらまで眠くなりそうな顔でエナジードリンクを買ったスーツ姿の会社員。
 3割引きの焼肉弁当を会計するツナギの作業員。
 お菓子をせがむ子供と困り顔の母親。
 チケットを発券した高校生のカップル。
 ワンカップと共にオカルトのよく分からない本を買っていく白髪の老人。
 彼らにもきっとそれぞれの人生があって、それぞれ生きているのだろう。今日は仏頂面のおばちゃんにお釣りを手渡しながら、そんなことを考えていた。
 おばちゃんもわたしが見殺しにした98%のうちの、ひとりなのだろうか。


わたしは殺人者だ。


* * * *


 知らなければ今まで通りで、知ったならば絶望する。それは癪だ。知識ひとつのあるなしで、人生目標を変化させるほどわたしは簡単な人間ではない。
 幼い頃から小説家が夢だった。本の世界に魅入られて、初詣も七夕も願い事はいつでも同じで。親の反対を押し切って、奨学金を取って、バイトと新人賞の応募に明け暮れて。努力と努力と環境と運と努力で夢の切れ端を勝ち取った。
 まだまだ足りない。わたしは小説家になる。


 わたしが「わたし」であることは、揺りかごから連綿と続く心と体を繋ぎとめるための、全人類が普遍的に持つアイデンティティと言える。身体や心が突如すり替わることはないという常識のもとに生まれた、いたって当然の防衛機構。
 「わたし」の範囲は人類が成熟してゆくにつれ、少しずつ勢力を増し、集合体となり、「わたし」とそれ以外をゾーニングしてゆく。自文化中心主義エスノセントリズム世界市民主義コスモポリタニズムも、根っこの部分は同じだ。自分たち以外の存在を排斥するか統合するか。名前を付けられた思想たちも、その最小単位は人間の好き嫌いと折り合い、そして「わたし」に過ぎない。


 結局は、そういうものなのだろうと思う。


 わたしが、どういう答えを見出したか。
 出会ったばかりの彼女は、願いだけで動いていた。愛すべきパートナーに逢いたいという、その気持ちだけで動いていた。
 彼女を否定することは、三点リダわたしの否定なのだ。
 夢を追い、理想を追い、目標を追うのが、「わたし」だから。
 その結果、ヘイジさんとの交渉は決裂したけれど。
 彼は事実に抗おうとした。彼の「人間」の定義、最後の堤防を崩し壊したのはわたしだ。彼を「人間」から引きずり下ろしたのはわたしだ。彼と同じように行動するこの世全ての人々を、人ならざる存在へと貶めたのはわたしだ。


 わたしは殺人者だ。


* * * *


 彼女は、飛雲の支援を受けて、新たな一歩を踏み出そうとしている。「人間」として馴化しつつある。彼女はこれから、どんな答えを見つけるだろうか。

「生きるとはなんだろう」。
 前に進むことだと思う。受動的な生は死と同じだ。自らの手で選び取ることが、生きることだ。わたしが彼女を通して選んだのは、私の生そのものだ。

「殺すとはなんだろう」。
 自分を貫くことだと思う。代償を払ってでも、得たい未来に手を伸ばす。わたしが殺した彼らには謝るが、立ち止まらない。それが贖罪などという綺麗事をのたまう度胸はない。わたしには夢がある。ただそれだけだ。


「店長、あがります」
「お疲れ、今日は近くでイベントがあったみたいで、忙しかったね。次のシフト希望出しといてねー」
「はーい、お疲れ様です」

 自動ドアを開けば、目にオレンジの光が飛び込んだ。夕日が道路を、空を、風景を、鮮やかに染めていた。少し前までこの時間帯は真っ暗になっていたから、日が随分と伸びたことに驚かされる。

忙しいswamped、ね」

 代り映えしなかったはずの帰路は、炎を思わせるほどの橙だ。飲み残しのミルクティーを片手に、家へと足を進め始める。
 ごめんなさい。心の中で謝りながら、それでも「わたし」を押し通す。


* * * *


人生は決して後戻りできないし、戻ろうとするべきではない。その本質は前に進み続けることである。人生はほんとうに、一方通行なのだ。
ーーアガサ・クリスティ