おたくはどちら

つれづれ

幕間 囚われた字幕



 冷凍食品の進化は目覚ましくてね。あ、冷凍食品ってわかるかい?そう。普段ヒトが食べるものをもっと簡便に作れるように工夫したものなんだが、大抵の場合で味が落ちる。現代人の何割かは気にするわけだが、企業努力でそれは年々減ってきている。中にはこっちのほうが美味しいと言う人もいるくらいだ。


 ミツルさんは口いっぱいに頬張る。美味しい、という言葉は今の彼女のためにあるのだろう。


 たこ焼きはその例外だと思っているが、反してこの焼きおにぎりは素晴らしい出来だと思わないか?普通のおにぎりに醤油を塗って焼いてもパサつくんだが、レンジでチンすればそれがない。香ばしいのにしっとりとしている。普通に作られたものよりも、技術がそれを超えることは往々にしてある。それに違いはないし、美味しければそれでいい。ただ、魔術はあまりにピーキーだ、応用が効かない。不確かなものに私の人生を捧げる気もないが、美味しい焼きおにぎりが作れる魔術は流石に神が許さないかな。



 昼食を終えたミツルさんはあたしにいくらかの血液を採らせてほしいとお願いして、それからあたしの白い肌に注射針を刺して、痛みはあるかと聞いた。
 何かがするりとあたしから抜けていく感覚がしたけれど、いつも通りに、ないと答えた。もしもそれが痛みなら、ずっと勘違いしていることになる。痛みってどういうものか、質問するには少し遅すぎる。


 ミツルさんは微笑む。今日の検査はこれで終わりだ。休んでいていい。
 軽く頷いて部屋を出る。廊下は冷たい。
 シート床材にはいくらかの埃が積もっているけれど、歪みのない平面が手前から奥まで敷き詰められている。ヒト型二脚には歩きやすいが、あいにくあたしには履帯クローラしかない。廃病院に不釣り合いなやかましい音を立てながら、それでも平和すぎるほど平和な場所だ。
 着脱式アタッチメントにしてくれればあたしももう少し出歩く気になるのだけれど。健気にキュルキュルと回るトルクは、ため息をかき消し前に進む。


 ここに来てから、あたしは考え込むことが多い。今までは考える時間がなかったのかもしれない。
 野良兵ゾンビ犬爆弾ドギーボム鉄鋼蟷螂コープスフレームはここにはいない。
 獰猛な肉食昆虫である蛇蜻蛉ヘビトンボも。
 集団で狩りをする屍喰烏マガドリも。
 守るべき妹もだ。ずっと見ていない。
 だから、思考が巡る。割り当てられた一画に戻り、錆びたベッドの鉄パイプを指先でなぞる。埃がまとまって形を成す。灰と茶のグラデーション。
 いつからこの埃は溜まっているのだろう。
 いつから指先のこれ・・・・・を、埃と認識したのだろう。



 埃が積もっている。
 この文章から得られる情報は、時間が経っているだとか、しばらく人の出入りがないだとか、そういう類いのものだ。掃除をしていない。物が動いていない。だから「埃が積もっている」。自分の部屋に埃が積もっているなら、ぐうたらや面倒くさがり以外は掃除を始める。
 つまり、埃は掃除という文化がなければ存在できない。法がなければ犯罪者がいないように、生きていなければそもそも死ねないように、何事にも前提となる条件がある。それはいつもは見過ごされがちで、常識に根付いているものだ。考えなければ気がつかない。


 あたしは何故、埃を知っているのだろうか?
 あたしが見た限り、野良兵は動くものを襲うことしか考えていない。生態兵器も、改造昆虫も、食肉植物もそうだ。それらは箒やチリトリを持って掃除に励むことはしない。仮に三角巾を付けて雑巾掛けに勤しむアンデッドを見たところで、「綺麗好きなんだなぁ」という感想が出るかも怪しいが、掃除をしていることは分かる。
 人は経験したことがないものも知識として蓄えている。それは本や映画、人からの話から得るものだ。大人は「常識」マークをありとあらゆる場所に貼り、子供の内側に社会を作り上げていく。それは異物をすぐに発見するための防衛機構でもあるだろうし、人類文化が醸成されてきた証でもある。
 だがあたしには情報源の記憶がない。生まれてこの方ページをめくったことがない。映画のフィルムを回したことがない。社会で生きたことがない。誰にも教えられていないのに、箒を、チリトリを、掃除を、埃を知っている。


 世界は既に滅んでいる・・・・・・・・・・
 それを知っている。なぜ?
 答えは明快で、それが植え付けられたからだ。
 あたしは誰かに造られた。それを知っている。
 記憶は自由に改竄できる。それを知っている。
 あたしに可愛い妹がいる。それを知っている。
 あたしは既に死んでいる。それを知っている。


 別にそれでもいい。
 「違いはないし、美味しければそれでいい」。
 妹が心配だ。